意:みせかけの善行
どう思う?
僕は偽善が悪いこととは少しも思っていない。
思うに善行というものに偽りも見せかけもないと思うからだ。
偽善だ偽善だと言う人に聞きたいが
今の世の中にどれだけの
心からの正しい行いがあるんだろう。
久しくお目にかかってないと思うが。
例えば僕が宝くじを当てたとしよう。
ちょっといい人ぶろうかと半分寄付したとする。
内心寄付には何の興味もない。
これがいわゆる偽善と言われるものだろう。
でも、この場合誰も損はしないじゃないか。
寄付されて団体も万々歳。
僕自身も気分はいい。
思うんだけど
偽善っていう言葉は人間の妬みという感情が
使わせるんじゃないだろうか。
あいついい格好しやがって、みたいな。
偽善という言葉を使う人は
普段自分がいいことなんてちっともしない人に多い気がする。
心からの善行が行える人というのは
偽りの善行を知ろうが偽善だ!なんて言わないんじゃないかな。
現代には偽善という言葉を用いるには
善行というもの自体が少なすぎると思う。
だから偽善だと思っても
それを非難してはいけないような気分だ。
いい行いには変わりない。
見かけだけであろうが”善行”なんだから。