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読んでもためにならない  個人的な話
by ninemonsters
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カテゴリ:気になる話( 11 )
僕は高く飛びたい。

でも上を見てばかりじゃ飛べなかった。

踏み込むための地をしっかり確認しないといけない。

そのことを今まで学んだ、というか思い知った。

だから今から、

間に合うかわからないけど

焦らずに。

着実に。
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by ninemonsters | 2006-04-14 04:35 | 気になる話
自由な不自由と不自由な自由
自分の中の自由の意味を考えて
僕はこのタイプの人間です。

母親の血を継いだのか
何でも先のことを考えてしまう癖があるんです。
だから先が見通せないと
不安というか落ち着かないんですね。

今回は自分ってそういう人間だと
強く感じました。
卒研のテーマ決めでなんやけど
自由に何でも決めていいよ、と言われ
散々色々考えました。でもなかなか決まらない。
やりたいことはたくさんあるのに
先の見通せず決めきらないって感じで。
まぁ最後は強引にででも決めて
決まった時はそれだけで達成感を感じ
よかったっちゃよかったんですが。
だから自主的にやれないってことはないけど
得意ではなく、そういうタイプの人間なんですね~。

何にもなくて
そっから自由に何かをやるっていうのは苦手。
その何をやるか決めるのに手間取り
その時間自体が不自由になってしまうんですね。
それよりかは
何か制約か条件があって
それをどうするか考えたり動いたりするのは
とても得意ですね~。
そう考えると
趣味と言える趣味が自分に自然に
備わっててよかった~なんて思いました。
もし何にもすることがないと
ホントに不自由になってたかもしれないです。

週末から地元の友達が来てて
まぁ何するわけでもないんですが
それはそれで楽しく、こうして来てくれることに
いつも感謝してます。
僕がそういう人間だと知ってるから
すごく楽に遊べます。自由さに不自由さを感じないです。

こういうところから将来の職業なんて考えたりもします。
どういい人生だと言い張っても
自分が笑えてない人生なんて
どこに良さがあるのかわからないじゃないですか?
そんなことと思うかもしれないですが
これが僕の人生の根っこです。
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by ninemonsters | 2005-09-19 20:38 | 気になる話
僕という存在
僕は存在しているのか?
存在してるに決まってると答えたいとこだ。

じゃあ、もし世界に僕しかいなかったらどうだ?
それでも生きてるなら存在してるよと答えたいとこだ。

そりゃ本当だろうか。と最近考えるんです。
僕の周りには僕の存在を認める様々な要素がある。
誰かと話したいなら電話すれば人と話すことができるし
家族という変えがたい関係もその要素だし
学校の名簿にも戸籍にも名前がある。
そういうところから存在を感じとるんやないかな?

生きとるっていうのと存在しとるっていうのは
ちょっと違う気がするんです。

俺の存在を認めてくれよ。
なんていうくさいセリフがあったりする。
ドラマとかで聞いても何気なく流すことがほとんだやろう。
でもこのセリフにはすごいヒントがあると思う。

存在は認められないと”ない”ものなんじゃないやろうか。
でも存在を認めないことなんてないよね。
目の前を人が歩いてれば
その人の名前がなんであれ僕らはそれの存在を認める。
そりゃたまには、いいや!俺には見えない、認めない!
とか言う風変わりな人はいるかもしれんけども。

だから俺はお前の存在を認めないぜ
っていう言葉っておかしいよね。
”俺”という人は”お前”という人がいることを認めた上で
”お前”に対して認めないって言ってるんやけんね。

だからもし僕が世界に一人だけになったら
僕は存在できない。
というか存在させてもらえない。

何かとの関係がある上での存在だと思う。
CAST A WAY っていう映画の中で
無人島に一人で漂流して主人公は
ボールに名前をつけ話しかける。
話をしないと頭がおかしくなってしまいそうだからだ。
なぜ話相手がいないと頭がおかしくなるんやろうか?
そう、存在が認められるかわからないからだ。
自分の中で激しい矛盾に襲われるから。
生きているのに存在しているかわからない。
確かに気が狂いそうやろ?

だから世の中一人で生きていけるなんて思っても
周りに人がいるからこそ生きていけるんだ。(健全にという意味で)
確かに存在を認めるというのには段階があるかもしれないけど
一人一人が他の人の存在を認めているからこそ
自分も存在し他人も存在する。
そういう意味で人は極度に他人という存在に
依存した存在だ。

こう考えると
知らない人でも愛しく思えてくる。
わけもわからないけどありがとうを言いたくなる。
僕は小学生の頃にこの不思議に
少し気付いていたのかもしれない。
目の前を通る車の中には
知らない人達が山のようにいる。
そしてみんな自分のように
主観的でありながらも全く違う生活がある。
このことを考えたらなんとも言えない
不思議な感覚に陥った。
このことは成長しても消えずに
今も残ってたけん
考え抜いた今は少し解放されてなんか嬉しい。
まだなんとも言えんけど
人見知りが直りそうだ(笑)

僕は寂しがりだが孤独な時間が好きだ。
前から好きやったけど今はもっと好きかも。
だってこれって最大の贅沢やない?
孤独な時間にこそ大事な人達の存在を深く感じれる気がするから。
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by ninemonsters | 2005-07-10 03:35 | 気になる話
人生観と世界観
「世界観」って言葉たまに耳にするよね~。
実際よくわからんで使ったこともあるような…
今日夜道を散歩してるときにずっと考えとった。

まず、この言葉は生きる上で最重要かもしれん。
「その人の世界観」っていう使い方よく聞くやん。
これからもわかるように
「世界観」を作ってるのはその人なんですよ。
そう、その人には世界がそういう風に見えてるってことです。
ということは
もしかすると一人一人生きてる世界が違うかもしれんやん。
頭おかしくなったか、とか思った?(笑)
でも真剣に考えとります、そんなことを。

ある人には自分が生きてると思われる世界が
すごい暗いことばっかりでつまらんかもしれん。
一方ある人には
すごい楽しいことばっかで明るい世界かもしれん。
もちろん、明るくて楽しい世界のほうがいいよね~。

でもこういう世界だって思ってるのは
何を隠そう自分なんですよね。
世界を暗くも明るくもしてるのは
自分以外に他ならないのか?

暗い世界だって感じる人はきっとこう考えるやろうね。
「だって戦争とか不景気とか暗いことばっかやし」って。
でもさ、その戦争とか不景気を暗いことだって
考えてるのもやっぱり自分。
だからって戦争がいいことだって思えとか言ってるんじゃなくて。
そこは難しいところだけど
何もかも決めてるのは自分だってことがいいたい。

ある意味自分の世界観の中じゃ全てが自由だと思う。
どう感じるかどう考えるか
それには確かに癖みたいなものとか
傾向みたいなものがあると思う。
でもふとそう思ってるのは自分だって思うことで
今までとは何か変わるかもしれない。

今日教授と就職について話してて考えたことがあった。
前に母親がずっと言ってたんやけど
上の大学に行くほど選択肢が増えるって。
でも違うなって思う。
選択できるってことも
選択できないってこともない。
できるとかできないとかじゃなくて
選択すればいいんじゃないかと思う。

この場合のできるできないは
自分の判断とか考えじゃない。
この考えを受け入れることが
それこそ知らない間に
自分の世界を狭める選択をしていた気がする。

自分っていう人間は
生活してるうちにいろんなこと選択したり
思ったり考えたりしてるよね。って当たり前やけどさ。
でもなんでそう思ったのかとかなんて考えたこともないし
気になったこともなかった。
これがきっと世界観なんよね。
自分の世界観を知ることはすごく大切なことやと思う。

世界観っていうのは大切な言葉。
でも時には自分の世界観を
打ち崩したほうがいい時もあるやろうね。
というところでまとめさせて頂きます。
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by ninemonsters | 2005-07-07 22:39 | 気になる話
信じるって
信じるって言葉は一体なんだろう。

一般的に信じるっていう言葉はいいイメージだよね。
なんつーかキレイな感じがする。

でも最近そう思わないんです。
信じるって言葉が存在するためには
必ず疑いとか不安が付きまとうよね。
疑ったり不安になったりしたくないから
信じるって言葉を使うことが多い気がする。

でも実際のところは
信じたからといって疑いがなくなるってこと
今までになかった気がする。
言ってしまえばこの言葉は何かのまじないに
限りなく近いものじゃないかな?
または神頼みとか。

宗教の中でも変なの多いよね。
種類によって神とするものは違うけど
教徒はそれを信じるから入るわけだよね。
でも素直に信じられるならなんで高い寄付金とか
上納金だとか払うんだろ。おかしくない?
きっとなにかの証拠だとか保障だとかを
求めてるからじゃない?
これで一安心と思いたいんだよね。
そうなっちゃうと誰も神なんて半分も
信じちゃいないってことでしょ。

もともと宗教っていうのは
死への恐れから免れたいがために作られている。
死んだら神様助けてってことで神様っていう
何かを信じるわけですね。
でも人間っていうのはそんな単純な生き物じゃないよね。
神様にお願いしたから死ぬの恐くないもん!
とは言い切れないだろー。

こういう風にいろいろな場面を想像してもらえば
言いたいことわかると思うんだけど
「信じる」っていう言葉は主に
「何かから逃避したい」って時に使われる。
というかそれ以外には使われない。

ここで更に例え話だけど
恋人が浮気をしているかもしれない
もしくは浮気の常習だとしよう。
きっとそういう場面でも
「俺信じてるから」みたいな話が出るだろう。
でもこれって裏を返せば
「俺不安で堪らないよ、でも我慢する」ってことやろ?
こう考えると素直に言ったほうがよくないか?
不安ですって。
信じてるとか言うほうが
相手に圧力かけてるみたいやん。
むしろ脅しみたいじゃない?

よく考えてみよう。
宗教の話もそうだけど
信じたからって何かの解決になるんかな?
信じるって言った瞬間から
自分で解決しようとすることを
放棄してるようにしか思えないんだけど。

僕は最近そう感じます。
「信じる」って空っぽな言葉だと。
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by ninemonsters | 2005-06-29 00:13 | 気になる話
偽善
意:みせかけの善行

どう思う?
僕は偽善が悪いこととは少しも思っていない。
思うに善行というものに偽りも見せかけもないと思うからだ。

偽善だ偽善だと言う人に聞きたいが
今の世の中にどれだけの
心からの正しい行いがあるんだろう。
久しくお目にかかってないと思うが。

例えば僕が宝くじを当てたとしよう。
ちょっといい人ぶろうかと半分寄付したとする。
内心寄付には何の興味もない。
これがいわゆる偽善と言われるものだろう。
でも、この場合誰も損はしないじゃないか。
寄付されて団体も万々歳。
僕自身も気分はいい。

思うんだけど
偽善っていう言葉は人間の妬みという感情が
使わせるんじゃないだろうか。
あいついい格好しやがって、みたいな。
偽善という言葉を使う人は
普段自分がいいことなんてちっともしない人に多い気がする。
心からの善行が行える人というのは
偽りの善行を知ろうが偽善だ!なんて言わないんじゃないかな。

現代には偽善という言葉を用いるには
善行というもの自体が少なすぎると思う。
だから偽善だと思っても
それを非難してはいけないような気分だ。
いい行いには変わりない。
見かけだけであろうが”善行”なんだから。
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by ninemonsters | 2005-06-12 19:34 | 気になる話
脱・人見知り宣言!
mixiってみんな知ってた?
俺知らんやったー。

んで友達がやってみたらと言ったんで
やってみました。

すごいんやね。

なんて言うんでしょうか、
自分っていう掲示板を持つって感じっていうか。

とにかくワクワクする素敵な情報から
ウキウキするくだらない情報まで
満ち溢れとるわけよ。

いやぁ、すごい。
うん、作った人すごいな。

ただ、有効に使えるようになるには
時間がかかりそうだ。
なにせ人見知りが・・・

仮に顔が見えなかろうが
自分には関係なくこりゃ壁になっとる。

自分で自分を誉めれる日を夢見て
頑張れ自分。
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by ninemonsters | 2005-06-09 23:02 | 気になる話
咲かせましょう、自己犠牲の花
イラクで人質となっていた斉藤さんが
亡くなったという映像が公開された。

なんでこんなことが起きるんやろう。

アンサール・スンナ軍にとっては
こういうことをやるまでに
何かしら考えがあるんだろう。
それは平和な国で育った人にとっては
理解しがたいもので
怒り、悲しみ以外に感じられないことだ。
それは僕も含めて。
マジ頭おかしいんじゃねぇの
って、そんだけで済ましちゃうかもしれん。

実際の話、60億分の1である自分たちに
こういう問題を解決するだけの力もない。
じゃあ60億人全員が世界平和を望んだら?
そりゃHAPPYだ。

でもそんなの無理に決まってる。
なにせ人間には他の動物にはないものがある。
過剰な欲だ。
毎日何不自由なく生活できてても
もっと、もっと上がある
もっと儲かる、もっと力を持てる、もっと支配できる。
この「もっと」が一番厄介な気がする。

動物にはこれがない。
ライオンだって腹いっぱいの時は
近くに獲物がいようが見向きもしない。
でも動物は弱者を助けない。

人間はその点、勝っていると思う。
助け合って生きる手段を知っている。
長い目で見るってことを知っている。

しかし、それも段々となくしつつあるんじゃないだろうか。
イジメがあってようが知らんぷり。
路上で誰かが殴られてようが知ったこっちゃない。
ましてや、遠いどっかの国で誰かが死んでも
その生死にすら無関心。
自分には関係ないさってね。

確かに関係はない。自分ではない。
でもそのことについて少しでも考えるって行為を
みんながやればそれを正すだけの力になるんじゃないかな?

昔学校の先生がよく言ってたなー。
全員が同じ意識を持てばって言葉。
あれは学校っていう小さなグループの話やけど
それはどんなグループでも
どんな問題でも有効なことだと思う。

今の時代、脱個性だのなんだの言ってるけど
こういうことは人の未来を決める
大事な決まり事なんじゃないだろうか。

利己的なことは悪いことじゃない。
そのおかげで文明は進歩したんやし。
でも過度な利己主義は
犯罪を生み、テロを起こし、独裁者を生み、戦争を起こす。

人の間違った行為を正せるのは
人の力に他ならない。
しかし、どっかの国みたいに
間違いを間違いで誤魔化してもしょうがない。
常に全員で監視し、一人一人が意見を持つことが重要。

僕はまだ弱い人間だ。
きっとイジメがあってても口を出せないタイプの人間だ。
(もっとも大学になってまでイジメはないが)
そういう自分を変えたいと思い
しっかりした意見を持つために
なにかとよく考えるようにしてる。
間違ってることには間違ってると言える
まずはそこから始めたい。
何も言わないと自分が間違ってるかもわからないから。
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by ninemonsters | 2005-05-28 17:11 | 気になる話
夢って
自分の夢ってなんだったっけってふと思った。
でもきっと忘れてしまうくらいなら
たいして実現しようとも思わなかったんやろ。

ちっちゃい頃からの夢に邁進できる人って
素直に羨ましい。パワーあるなーって思う。
きっといい意味でバカなんだろう。
ちょっと小難しく考えちゃう人は
夢を追うっていう作業に不向きな気がする。
1回始めたらやり尽くすまでそれしか見えない
っていうような人が羨ましい。

自分は色々目について
色々手出してしまう方だ。
なんか半端だ。
何一つすごくない自分がお恥ずかしい限りです。

年を取るにつれて夢とかからはきっと遠ざかる。
でも年取るのは嫌いじゃない。むしろ好き。
YOSHII LOVINSONの歌詞に
「喜怒哀楽の絵具を幾重に重ねて僕も大人になった」
ってのがある。
きっとすぐには見えないし実感もないやろうけど
自分も年を取りながらも’何か’を重ねていっとるはず。
そんな風に思うと
自分で自分の成長が楽しみにもなる。
どんなジジィになるんやろみたいな。
でも生きとかんと何もならんな。
とか早速ジジィの説教みたいなことも思う。
それで禁煙も思い立ったんやけど・・・
まだしきれてない。ジジィへの道が薄らぐ。

夢に向かって何かしてる人。
頑張ってください。
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by ninemonsters | 2005-05-15 08:48 | 気になる話
進化と退化
去年から気になることがある。

自分は、声を大にしては言えないが
一応デザインっていうものに関わる学校にいる。
課題も様々な形式をとるけど、~デザインっていうのが多い。
そういう課題をやるうちに気になりだしたこと。

それはデザインにおける時代の方向性を与えてるのは
一体誰(何)なのか。

最初は、新しい何かをデザイナーが提案して
それにユーザーが賛同すると思ってた。
でも、新しい何かを提案するために
まずは調査をする場合もあり、それが有効だとも知る。
そうするとやっぱユーザーが基本か?と思う。

そうするとなんかあんまり前に進まない気がするのは気のせいか。
確かに改良に改良を重ねてどんどんいいものにはなると思う。
前より便利だ、前より使いやすい、前よりかっこいい。
地味だけど1歩前進。

ではもし、あるデザイナーが今まで誰も思いつかなかったような
車を描いたとしよう。
プレゼン能力も高く、じゃあ開発しようとなったとする。
でも販売すると売れなかった。
こういうケースは今までにいくらでもある。

バックトゥザフューチャーにデロリアンという車が出てくる。
この車は代表例の一つだ。
カーデザインの歴史上最大の失敗とも言われる。
それがDMC(会社)の最初で最後の車になった。
まぁ会社潰せば最大の失敗やろう。
この車が売れなかったのは
時代を先取りしすぎたからだと言われている。
買う側がついていけなかったからだと。

今現在、デロリアンを昔の車として見ても
私見が大きいかもしれないが
会社を潰してしまうほどひどい車じゃないと思う。
リアのデザインなんてキマリすぎたくらいカッコいい。

ユーザーがついてこれない。
これはなぜ起こるのか?
一つ思うのは'突拍子もない'というのはタブーである。

人々がモノを評価するという行為の過程には
どこかで信用のようなものが必ずあると思う。
信用というのはなにかしらの物語だ。
その製品を目にするということをゴールにすると
物語というトラックを回ってからというわけだ。

この物語っていうのは
規模としては様々だと思う。
故意に作り出した物語でいうと
商品のプロモーションとか。
やるとやらないではかなり違うだろう。
前は売るためだけって捉えてたけど
もしかしたらそういう意味もあるんじゃないかと思いだした。
これは売るための基礎作りみたいなもんだ。

もっと大きい規模のものでいうと
車が流線型になったのとか。
初めは空力が必要なモータースポーツから誕生した。
それ以前(相当昔だが)はホントに箱だ。
モータースポーツ=速いというイメージ、物語が
人々を熱狂させた。
それがいつのまにか当たり前になり
一般乗用車に用いてもおかしくなくなった。
むしろ今では超箱型のBbやCUBEが新しいものと考えられる。
そりゃ細かい部分は現代風やけど。
(ん、この現代風はどうやって作り出されてきたんだ?謎)

そう考えると
デザイナーだって人の子。
未来からやって来ました未来人ですってわけない。
デザイナー自身もこの大きい規模の物語の影響を
受けつつ生まれてから育ってきたわけだ。
生まれる前のものを見て感銘を受けるかもしれない。
そしたらその要素を生かしたものを現代に作ることもある。
昔のモノを無視して新しいモノはできない。
進化と退化は紙一重。
自分的に名言。

じゃあ結局誰が方向性を持たせているのか。
それはわからない。
丸投げして言ってしまえば歴史が(笑)
としか言いようがない。

やっぱり頭で整理できてないことは
文章にしても整理できんな。
また後で自分で読んだ時に
イヤこうじゃないって思うかもしれんし。
でも思考するのはタダでできる最大の暇つぶし。
以上一人で朝まで討論会でしたー。
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by ninemonsters | 2005-05-10 02:15 | 気になる話