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読んでもためにならない  個人的な話
by ninemonsters
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わくわく病
今まさにわくわく病まっさかりです。
どんなわくわく病かというと

・院試受かったら車買えること
・また彼女と温泉行こうぜ計画があること
・フローター買って釣りの幅が広がること

みたいなわくわく病です(笑)

フローターは前から欲しくてたまらんくて
やっと買えた念願の代物。
果たしてどんなビッグな魚が待ってるかと思うと
寝ても立ってもいられん…

でもこのわくわく君たちは
院試をちゃんとパスしないと
楽しめるものも楽しめない。
なーんて考えるとちょっと不安でならん。

院試を定期試験レベルの勉強で
通過することができるんだろうか…
もし落ちたら
という時のことすら考えてしまった(笑)

わくわくのために頑張ろう。
動機がなんであれ
受からないことには
その先のことを考えることも許されない。
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by ninemonsters | 2005-07-16 07:04 | 好きなことの話
僕という存在
僕は存在しているのか?
存在してるに決まってると答えたいとこだ。

じゃあ、もし世界に僕しかいなかったらどうだ?
それでも生きてるなら存在してるよと答えたいとこだ。

そりゃ本当だろうか。と最近考えるんです。
僕の周りには僕の存在を認める様々な要素がある。
誰かと話したいなら電話すれば人と話すことができるし
家族という変えがたい関係もその要素だし
学校の名簿にも戸籍にも名前がある。
そういうところから存在を感じとるんやないかな?

生きとるっていうのと存在しとるっていうのは
ちょっと違う気がするんです。

俺の存在を認めてくれよ。
なんていうくさいセリフがあったりする。
ドラマとかで聞いても何気なく流すことがほとんだやろう。
でもこのセリフにはすごいヒントがあると思う。

存在は認められないと”ない”ものなんじゃないやろうか。
でも存在を認めないことなんてないよね。
目の前を人が歩いてれば
その人の名前がなんであれ僕らはそれの存在を認める。
そりゃたまには、いいや!俺には見えない、認めない!
とか言う風変わりな人はいるかもしれんけども。

だから俺はお前の存在を認めないぜ
っていう言葉っておかしいよね。
”俺”という人は”お前”という人がいることを認めた上で
”お前”に対して認めないって言ってるんやけんね。

だからもし僕が世界に一人だけになったら
僕は存在できない。
というか存在させてもらえない。

何かとの関係がある上での存在だと思う。
CAST A WAY っていう映画の中で
無人島に一人で漂流して主人公は
ボールに名前をつけ話しかける。
話をしないと頭がおかしくなってしまいそうだからだ。
なぜ話相手がいないと頭がおかしくなるんやろうか?
そう、存在が認められるかわからないからだ。
自分の中で激しい矛盾に襲われるから。
生きているのに存在しているかわからない。
確かに気が狂いそうやろ?

だから世の中一人で生きていけるなんて思っても
周りに人がいるからこそ生きていけるんだ。(健全にという意味で)
確かに存在を認めるというのには段階があるかもしれないけど
一人一人が他の人の存在を認めているからこそ
自分も存在し他人も存在する。
そういう意味で人は極度に他人という存在に
依存した存在だ。

こう考えると
知らない人でも愛しく思えてくる。
わけもわからないけどありがとうを言いたくなる。
僕は小学生の頃にこの不思議に
少し気付いていたのかもしれない。
目の前を通る車の中には
知らない人達が山のようにいる。
そしてみんな自分のように
主観的でありながらも全く違う生活がある。
このことを考えたらなんとも言えない
不思議な感覚に陥った。
このことは成長しても消えずに
今も残ってたけん
考え抜いた今は少し解放されてなんか嬉しい。
まだなんとも言えんけど
人見知りが直りそうだ(笑)

僕は寂しがりだが孤独な時間が好きだ。
前から好きやったけど今はもっと好きかも。
だってこれって最大の贅沢やない?
孤独な時間にこそ大事な人達の存在を深く感じれる気がするから。
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by ninemonsters | 2005-07-10 03:35 | 気になる話
人生観と世界観
「世界観」って言葉たまに耳にするよね~。
実際よくわからんで使ったこともあるような…
今日夜道を散歩してるときにずっと考えとった。

まず、この言葉は生きる上で最重要かもしれん。
「その人の世界観」っていう使い方よく聞くやん。
これからもわかるように
「世界観」を作ってるのはその人なんですよ。
そう、その人には世界がそういう風に見えてるってことです。
ということは
もしかすると一人一人生きてる世界が違うかもしれんやん。
頭おかしくなったか、とか思った?(笑)
でも真剣に考えとります、そんなことを。

ある人には自分が生きてると思われる世界が
すごい暗いことばっかりでつまらんかもしれん。
一方ある人には
すごい楽しいことばっかで明るい世界かもしれん。
もちろん、明るくて楽しい世界のほうがいいよね~。

でもこういう世界だって思ってるのは
何を隠そう自分なんですよね。
世界を暗くも明るくもしてるのは
自分以外に他ならないのか?

暗い世界だって感じる人はきっとこう考えるやろうね。
「だって戦争とか不景気とか暗いことばっかやし」って。
でもさ、その戦争とか不景気を暗いことだって
考えてるのもやっぱり自分。
だからって戦争がいいことだって思えとか言ってるんじゃなくて。
そこは難しいところだけど
何もかも決めてるのは自分だってことがいいたい。

ある意味自分の世界観の中じゃ全てが自由だと思う。
どう感じるかどう考えるか
それには確かに癖みたいなものとか
傾向みたいなものがあると思う。
でもふとそう思ってるのは自分だって思うことで
今までとは何か変わるかもしれない。

今日教授と就職について話してて考えたことがあった。
前に母親がずっと言ってたんやけど
上の大学に行くほど選択肢が増えるって。
でも違うなって思う。
選択できるってことも
選択できないってこともない。
できるとかできないとかじゃなくて
選択すればいいんじゃないかと思う。

この場合のできるできないは
自分の判断とか考えじゃない。
この考えを受け入れることが
それこそ知らない間に
自分の世界を狭める選択をしていた気がする。

自分っていう人間は
生活してるうちにいろんなこと選択したり
思ったり考えたりしてるよね。って当たり前やけどさ。
でもなんでそう思ったのかとかなんて考えたこともないし
気になったこともなかった。
これがきっと世界観なんよね。
自分の世界観を知ることはすごく大切なことやと思う。

世界観っていうのは大切な言葉。
でも時には自分の世界観を
打ち崩したほうがいい時もあるやろうね。
というところでまとめさせて頂きます。
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by ninemonsters | 2005-07-07 22:39 | 気になる話