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読んでもためにならない  個人的な話
by ninemonsters
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ニュース見て
福知山線の事故のニュースをみた。
事故被害者の同居人だった人が自殺したらしい。

こんなことを書くのはいけないと思うが
感じたことを素直に書きたいので書く。

羨ましい。
もちろんそれは自殺することではない。
さっき友達に電話したら
この前のこのBlogの記事を読んだらしく
病んでない?って言われた。
だからこんなこと書いたらまた心配させるかもしれないが。

羨ましいのはその想いがだ。
一緒に生きる人がいなくなった、
苦しい、死んだ方がいい。
そこまで僕は想えないだろうから。
苦しいから死ぬっていうのは
僕はよくないと思うし
賛否両論あると思う。
その人の気持ちもわからないわけで。

ただ、そこまで苦しむほど
誰かに頼ったり、依存できるのは
純朴っていうか、
なかなか難しいと思うわけだ。
自分からも相手からも逃げないで
向き合わないとそこまではいけない。
そして、僕にはまだそれができない。

だからこのニュースを見て
溜息が漏れた。
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by ninemonsters | 2006-10-15 23:07 | 大事だと思う話
振り返ると
今日は誕生日だ。
素直に嬉しい。
そこでこれまでのことを振り返って
書きたいことがあったので
今日はサザエさんを見習って2本立て。

「客観視すること」

よく教授だったり偉い人だったりが
自分を客観視することの重要性を語る。
でも僕はそれは違うと思うんだ。

確かに仕事の場面だったりでは
それに近い意味のことは重要だと思う。
独りよがりになってしまうことを回避できるし
物事をスムーズに進められる。
でもこれを客観視と呼ぶのがどうかということだ。
クレバーであればいいことであって
自分の客観視とは少し違う気がする。

では逆に客観視するとどうなのか。
このBlogは僕の主観で書かれている。
しかし、書くとこはほとんどが客観的に観察したことだ。
最近恐いとよく思う。
客観的に見れば見るほど
あるはずの主観が見当たらない。

しかし悪いことばかりではない。
客観的立場から眺めることで
新たな発見もある。
知らなかった一面も見える。
ただ目的ありきだと言いたい。

目的もなく客観視を続けるとどうなるか。
意識の離脱。
それも限りなく不可逆だと思う。
自分は何をしたいのか、
そもそも何を望んでいたのか、
自分って何。
そこには寸分の整合性も見つからず
激しく苦しくなるかもしれない。

客観視することはコトだけでいい。
自分にその目を向けなくていいと思う。
うまくいけば近道が見つかるかもしれないが
別に遠回りで構わないだろう。
情熱を持ち合わせているなら
そんな小細工は必要ないと僕は思う。
その情熱を見つけるほうが
難しいに決まってるから。

と苦しくなったので書いてみた。


「死」

始めに。
何度も言うように僕は死ぬのが恐い。
無であることが想像できないから。
生きてる今、頭の中を無にすることは不可能だ。
死んだフリをしてみても何か考えてる。
眠ってる時でさえ、この頭は働いているんだ。

考えてもわからないこと、だから恐い。

もっとやんちゃだった頃は
俺は長生きなんかしなくていいし、
とかちょっとROCKでかっこいいとか思って言ってた。
今は早死にしたくない、と
弱弱しく死に抗っている。
歳をとったからかもしれない。
ジリジリと死は近づいているに違いないから。

しかし、あくまで予感ではあるが
僕は長生きができない気がする。
なぜかそう思う。
死ぬことを受け入れようと努力しだしてから。
もしかするとそう諦めて
自分を楽にしようとしてるだけかもしれない。

前にも書いたように
生と死はやはり対であり
抗うこと自体馬鹿げてるんだろう。
いつかはやってくる死を
どう扱うか、それがわからなくて
そしてやはり恐い。

生きた代償なのか。
こうマイナスに捉えることが正しいのか。
ここから先は宗教の世界だ。
やめよう。

肉体が死ぬことで
いわゆる主観としての存在は消えるだろう。
完全な無になるのか
はたまた科学では証明できない世界に行くのか
それはわからない。
まぁ今の状態とは違うとだけ言える。
ただこの世での存在は別だ。
主観が消えた瞬間から
少しの間は自分の分身として存在だけが残るだろう。

人の心に存在として残ること、
これを大事に思うかはその人の判断だ。
子孫を多く残すのも
歴史に名を刻むのも有効だ。

僕はどうだろうか。
あまり重要視しないかもしれない。
この体とこの心で、
友達ともっと遊びたい、
もっと親孝行したい、
素敵なパートナーと過ごしたい。
感じたいことは山のようにある。
だから恐いんだろうと思う。
もっともっと、だから。

この欲を全て満たしたら
その先が見えるんだろうか。
恐くないと思えるんだろうか。
全くわからない。

と23年目の課題を振り返った。
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by ninemonsters | 2006-10-09 03:08 | どうでもいい話
審美眼
審美眼という言葉が好きだ。
意味ではなく響きがだが。

今日は審美眼について書きたいわけではない。
好きなこと自体について。

僕は好きなことを仕事にしたい派だ。
他に何派があるかはわからないが
あえていうならという前提で。

仕事は生きるための戦いであり
当然働かざるもの食うべからずで
下手すると死んでしまうかもしれない。
しかし戦いとは言え
その戦い方はほぼ僕らの一念で決めることができる。
ペンを持つも良し、素手でも良しというわけだ。

何度も言うように
一度きりの人生、気持ちよくなったもん勝ちだと思っている。
だから仕事というものをどう選ぶかはもちろん重要だ。
気持ちよくなるにも種類がいくつかあるだろう。
人の上に立ち社会に自分の意思を反映させる、
富と名声を得る、
それはひとそれぞれである。

始めに言ったように
僕は勝手に楽しくやることが
他のことより一番気持ちがいい。
心の平安と心の充足が切れないからだ。

では好きなことをすればいい。
だが好きなこと、やりたいことは何だろうか。
これはとても難しい。
ココで悩む人も多いと思う。

本当にしたいことは何か。
今自分が思っていることだろうか。
自分の想いに自信がない。
僕の場合はこの通りだ。

僕はモノを作る仕事がしたい、
だったらデザイナーになりたい、
そんな素敵な仕事は他にないと思っていた。
でも正直自信はゼロ。
何の知識もないし
昔から絵なんてろくに書いたことなかった、
学校入ってちょっとビビッたのもあった。
なりたい理由も想いも明確じゃない。
俺はなれるのか。
そうこうしてどんどん自信だけがなくなって
なりたいのかどうかも見失って。
ただボーっと考えた。
ひたすら考えた。

1年くらいかかったが
本質を見落としてたと気づいた。
僕はモノが出来上がる末端でもよかった。
とにかく何かを作り上げる作業が好きで
デザイナーが全てではない。
なぜかはわからないが
目隠しをされて信じきった状態だった。
それしかないって。
ダメだったらきっと自分もダメになって
つまらない人生なんだって。

自分が好きなことをモザイク越しにみて
闇雲にこれにしようと決め付ける、
これは誰にでもある気がする。

僕は院に進んでそういう意味での
審美眼を少し手に入れたような気がする。
モザイクを取り払うことは
僕にとっては苦しい作業だったけど
今は変な話希望に満ち溢れている。

次の課題は
やらなきゃ始まらない
やれば始まる。
これにつきる。
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by ninemonsters | 2006-10-06 21:32 | 好きなことの話